[Interview]「病んでいた自分、ありがとう!」2016年ブレイク確実の桜井ユキ、目標は“顔指され女優”

スクリーン上でも取材での写真撮影でも……。カメラのレンズを向けると、無数のキャラクターが出現する。千変万化、映画『フローレンスは眠る』(3月5日公開)でヒロイン役を務める桜井ユキはそんな女優だ。

女優デビューは2011年、24歳の時。遅咲きながら、これまで歩んできた5年間のキャリアは濃い。特に昨年は三池崇史監督、園子温監督など邦画界が誇る鬼才に重宝され、園監督を「面白い!」と唸らせもした。桜井は幼少期から「女優になる事」を夢見ていた。であれば、なぜもっと早くに女優としての道を歩まなかったのか?その道を阻んでいたのは、今の姿からは想像すら出来ない意外過ぎる“ネクラ・デイズ”だった。

殻に閉じこもっていた過去「病んでいたのかもしれない」

今年は『フローレンスは眠る』のヒロイン役をはじめ、現在放送中のフジテレビ系月9ドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」出演と順調な歩みをみせる。桜井は「あっという間の5年間でした。最初はセリフのない役ばかりだったけれど、“役と向き合う時間を増やしたい”“いつか主要な役を”という気持ちがハングリー精神に繋がったと思う。今は徐々にお仕事も増えてきているけれど、絶対にぶれず、おごらず。初心だけは忘れないよう“自分は自分だ!”という強い気持ちを持っていきたい」と更なる飛躍を誓う。

その“初心”は女優を目指して上京し始めた、演技のワークショップでの経験に宿っている。24歳まで演技経験はゼロ。しかしそれ以上に問題だったのが、幼少期からの性格で、かなりの“こじらせ系”だった。「人と話すのが苦手で、人嫌いでもありました。一人で殻に閉じこもって壁を作るタイプで、人見知りという軽いレベルではなかった。人と喋りたいとも思わなかったし、若干病んでいたのかもしれないですね」と知られざる過去を回想する。

「お芝居を通して、人間としても生まれ変われた」

現在の人懐っこく明るい姿からは考えられないが「友だちもほとんどおらず、会話している時に自分で意識的に“ここで笑っておこう”と思わないと笑えないような子でした。かなり冷めていたし、笑顔を自然に作る事さえ出来ない、ヤバい子供だった」。そんな状態でありながらも、将来の夢は「女優になる事」だった。矛盾する思い。しかし桜井はきっと心のどこかで、現状を打ち破る変化を無意識のうちに求めていたのだろう。そして24歳の時に一念発起。福岡から上京し、夢を実現させるために動き出した。だが演技の基本は、コミュニケーションと感情のやり取り。それは桜井が一番苦手とするものだった。

事実「演技のワークショップでは心を無茶苦茶にされた」という。でも諦めずに喰らいついた。その結果「感情を表に出すことがどんどん楽になっていって、体から鱗がポロポロと取れるような感覚を得た。プライベート面でもお芝居の経験が助けてくれて、お芝居を通して、人間としても新たに生まれ変わることが出来た」と変化を実感。演技という行為は桜井にとってセラピーに似た効果を生み出し、それと同時に演技自体の面白味にもどんどんハマっていった。

病んでいた自分に感謝 目標は“顔指され女優”

桜井曰く「不毛時代」という過去も、今では大事な糧だ。「思い出したくないような出来事やその時の自分の嫌な感情も、役によっては使える時がある。モヤモヤして人にきちんと自分の思いを伝えられなかった不毛な時代があったからこそ、変わることが出来て今がある。まさに“病んでいた自分、ありがとう!”ですね」。性格も生き方も変えてくれた女優という天職を得たからには、その仕事でトップになりたい。「今年は知名度をもっと上げて、色んな人に知ってもらいたい。それを実現させるためには、自分自身が沢山努力をして、様々な人の目に触れる活動をしていきたい。映画、ドラマ、舞台とジャンルレスに」と力を込める。

目標は“顔指され女優”になる事。「電車に乗れないくらい“桜井ユキだ!”とか指さされて、マスクをして変装しないと外出できないくらいになりたいですね。今はどこにでもドスッピンで出かけてしまうので、それが出来ないような状態にしたい」とケラケラと笑う。自然に笑えなかった時代が嘘のように、現在の桜井は朗らかで、飾り気がなく、魅力に溢れている。そして不毛なドン底時代を生き抜き、自らの力で克服しただけの強さとしたたかさを持っている。“顔指され女優”になるのは必然だ。

(取材・文/石井隼人)

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